熱海駅から車で15分。海沿いの道を外れ、急な斜面をしばらく上がると、相模湾を見下ろす高台に様々な果樹がいきいきと生い茂る農園が現れます。今から4年前に就農した説田慶樹さん、有佳さん夫妻が2024年1月に継承者不在となったこの場所を引き継ぎ、箱庭のように美しい果樹園で農業を中心に新たなコミュニティを作り上げています。
人事組織コンサルティングやエグゼクティブサーチの会社を経営にしていたご夫婦が、農業に携わるようになった経緯や、農業に「+α」の価値を創出する取り組みについてお話を伺いました。
コロナによるマレーシアからの帰国、農業への挑戦
ご夫婦が長年、企業や人材の育成に携わってきた背景には、「日本の企業を応援することで日本を強くしたい」という想いがありました。一方で、企業が成長してこれからという時に売却されてしまったり、間接的にしか事業に関わることのできないジレンマも抱えていたと言います。
有佳さんは7年半に渡りマレーシアで人事コンサルティングとアジアにいる日本人の人材発掘に携わってきましたが、マレーシア滞在中の後半4年は、キャメロンハイランドという高地に住んでいたそうです。キャメロンハイランドでは、かつて日本人に学んだマレーシア人が有機農業に取り組んでおり、有佳さんご自身も、本業の傍らワサビの栽培や現地の蜂蜜の販売にチャレンジしました。
そんな中、コロナの世界的な感染拡大に伴い、有佳さんも日本に帰国しましたが、その後マレーシアへの再入国が難しくなりました。
日本への帰国中、それまでのように間接的な事業支援ではなく、「日本のために自分たち自身ができること」を模索するようになりました。そして「一次産業が脆弱化して輸入品に頼っていると日本の活力は弱まっていく、この機に直接的に自分の手で農産物を生産しつつ、地域の活性化に貢献していきたい」という想いが膨らみ、農業への挑戦が始まりました。
後継者不在の果樹園との出会い、継承
有佳さんがマレーシアを引き上げる煩雑さの中、慶樹さんが静岡の農業大学校に通い農業の基礎を学びました。初めの1年半は湯河原で野菜の有機農業に取り組んでいたそうですが、借りていた農地が宅地として売却される可能性が出てきたこともあり、安定して農業を続けていくために農地を探し始めました。そんな中、大先輩の農家の方を通じて紹介されたのが現在の果樹園です。当時86歳となる農園主が1.6haほどの農地で3代に渡り果樹農業を営んでいました。
果樹農業の経験が少ない中、この農地の継承はとてもチャレンジングな選択でしたが、景観や雰囲気がマレーシアのキャメロンハイランドに似ていたこと、地域の方々がとても親切で協力的だったこともあり最終的に農地取得を決めました。
先代が育てていた青島みかん、レモン、伊予柑、金柑、ゆず等の柑橘、キウイ、梅、枇杷等に加え、アボカドを新植し、2haの農地で多種多様な果樹を農薬や化学肥料に頼らずに栽培しています。

土地にあったアボカド品種と栽培方法の模索
マレーシアでは家の庭先に植わっていたり、アボカドシェイクが日常的で人気があったりと、アボカドは説田さん夫婦にとってはとても馴染みの深い果物です。世界的な気候変動に伴い、日本の各地でアボカド栽培が盛んになりつつありますが、共通の栽培マニュアルは存在しません。静岡県でも「アボカドサミット」を開催する等、産地化に積極的で最低限の栽培技術についての指導は得られますが、土地に合った品種や栽培方法を、失敗も経験しながら工夫して築いていくしかないのが現状です。たからのはたけでは鹿児島県の「ゆす村農園有限会社」から苗木を取り寄せて、温室で1年、露地で3年間育成し、今年は結実を見られるかと期待していましたが、今年2月に静岡県内の降雪の被害を受け、数種のアボカド品種が枯れてしまいました。結実を目前にしていただけに落胆は大きなものでしたが、ベーコン、スチュワート、ウインターメキシカン等の品種は生き延び、耐寒性の高さが証明されました。また耐寒性が低いとされるピンカートン、エドラノール、ジャンボイス、グリーンゴールド等の品種は枯れてしまったものの台木(ベーコン種)だけは枯れず、この春、新芽が芽吹き希望を感じています。


農業に新たな価値を。Farmcationの取り組み
説田さん夫婦がこの地で農業を始めるにあたって、地域のたくさんの農家さんが農業のことだけでなく機械の修理の仕方など様々なことを教えてくれました。地元の農家さんに「百の仕事ができるから百姓という。農家は元々、町の困りごとを解決する存在なんだ」と言われたことがとても印象的だったという慶樹さん。農家がいることで農地が守られるだけでなく、その地域が持続可能になることを実感しています。
また、これまでの仕事の関わりから、都会に住む多くの人が子どもを連れてたからのはたけを訪れます。都会での子育てに難しさを感じる世代も多く、農園で親子一緒に自然に関わり、親が子どもとの関わり方に気づきを得ることも多いように感じています。

たからのはたけでは現在、農園内の古い施設を改修し、農園を企業研修の場として活用してもらえるように準備を進めている他、子どもたち向けの「食育」や「木育」など体験型のワークショップを実施する場として提供しています。農業の「Farm」と、場を意味する「Location」を掛け合わせた造語である「Farmcation」として、農業や地域の関係人口を増やしていくことを目指しています。
農業生産の収益だけで農業や地域を維持していくのではなく、これまで価値が見出されてこなかった農業の新たな価値を提示し事業を発展させ、地域に貢献していきたい考えです。



新たな挑戦者を受け入れる立場に
説田さん夫婦が「この地域は、この土地に移り住んで挑戦する人に対してとても協力的」と語る通り、行政やJA、地域の農家さんの助けを得ながら4年間、農業に奮闘してきた二人。今ではこの土地で新たなチャレンジをしたい人材を受け入れる立場になっています。
来年の春から、この土地で山地酪農(乳牛を一年中屋外の山に放牧し、自然の野草を中心に食べさせて育てる酪農スタイル)に挑戦する若者に土地を提供する予定です。農地の所有者を分散させると将来的にその地域を発展させることが難しくなるため、なるべく説田さん夫婦で農地を集約していきたいと考えています。
訪れる人を親密な空気で包み込む農園には、都会からの来訪者にとって、自然とつながる大切な秘密基地となっていくような、そんな気配があります。農業の多面的な価値を地域の内外に伝える「たからのはたけ」の取り組みは、農業を継続していく新たな手段の1つとして、多くの人にとってヒントがあるように感じられました。
基本情報
農園名:たからのはたけ Farmcation
所在地:静岡県熱海市泉元門川分郷清水177-2
栽培品目:青島みかん、早生みかん、湘南ゴールド、レモン、伊予柑、柚子、金柑、甘夏 等柑橘
アボカド、キウイ、南高梅、イチジク 等
農地面積:2ha
ショップURL: https://takara3333.base.shop/
<説田 慶樹氏・有佳氏 プロフィール>
約20年人事組織コンサルティングおよびエグゼクティブサーチ会社を経営。
2014年~、マレーシアで7年半に渡り生活。2020年新型コロナの影響で帰国。
2022年4月神奈川県湯河原町で新規就農し野菜及びアボカド栽培を開始。
2024年1月、熱海市泉(元門川分)で各種柑橘やキウイ、ウメが植わる約1.6ヘクタールの農地を高齢農家から譲り受ける。
2026年5月1日、認定農業者(関東農政局)となる。
2026年現在、農地を約2ヘクタールに拡大。


